この番付表は、昭和55年9月場所のものである。
この2場所前の夏場所(5月東京)本割りの土俵上で左足首を骨折し即入院した陸奥龍(自分)。翌7月の名古屋場所では番付が50数枚落ちたが、5月の怪我が公傷と認められ、9月場所は同位置にとどまった。
その時の貴重な番付を入手した。
下から2段目の左端の出っ張った部分に四股名が書かれている。
しかも、しっかりと公傷の文字まで記されている。
この公傷制度は、平成15年11月場所を最後に制度自体が廃止となったが、このような幕下以下力士が張出しとなった番付を見たことが無いような気がする。そんな意味においても貴重な1枚であるとともに自分にとっての宝物だ!